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宇都宮地方裁判所 昭和34年(行モ)5号 決定

申立人 木下立嶽

被申立人 宇都宮刑務所長

訴訟代理人 岡本元夫 外三名

主文

本件申立は之を却下する。

本件申立費用は申立人の負担とする。

事実

申立人は本件申立の趣旨として被申立人が監獄法施行規則第一〇三条を適用して申立人の頭髪を強制力を以つて剪剃する処分(又は剪剃せんとする処分)は本案判決確定に至るまでその執行を停止するとの決定を求める旨申立で其の理由として)

(一)  申立人が国家から執行されているところの自由刑はその目的とする社会的隔離を確保する為に必要の限度に於て受刑者の身体的行動の自由を剥奪することのみを以つて其の内容とするものであるから国法上身体刑の存しない我国に於ては国は当該受刑者の意思に反してその身体の一部たる頭髪の剪剃処分を強制執行し得るものではない。

(二)  申立人の刑期は三年(但し二刑、第一刑は昭和三十二年七月三十一日から同三十四年七月三十日迄第二刑は同三十四年七月三十一日から同三十五年七月三十日迄)で既に同刑期の三分の二以上を経過し残刑期から十ケ月程しかないところ更に申立人の刑期については

(イ)  去る昭和三十四年五月二日に刑の執行順序変更処分が為され翌三日から前記第二刑の執行を受けているがこれは申立人に関する行刑上の諸条件に鑑みその仮釈放を予定(又は前提)して為された処分であること。

(ロ)  申立人は去る昭和三十四年八月十七日行刑累進処遇令上の第一級者(同令第十六条)に進級したものでこの事は同令第八十九条の条規に鑑みても仮釈放に関し比較的好条件にあることを明示していること。

(ハ)  申立人の仮釈放は仮釈放審査規程(昭和六年五月二十五日司法省訓令行甲第一、一二八号)の諸規程に鑑みて特別に其の仮釈放を阻却せらるべき理由や事情がないのみならず当刑務所の諸上級刑務官の申立人に対する仮釈放の予想に関する発言に徴しても申立人の仮釈放は特別の事情が起らない限り茲数ケ月中に行われるものと判断するのが相当であること。などの事情が存在する。

(三)  前記(一)(二)記載の理由によつて数ケ月以内の将来に於て仮釈放で出所するものと予想される申立人に関しては国は申立人の社会的復帰の準備として其の頭髪の原状回復(服役以前の状態即ち世間並みの頭髪の長さ)を認めなければならない義務を負うものであることは憲法第十三条同第二十五条同第三十一条(蓄髪の自由権の剥奪禁止)の諸条規及び「監獄法適用の基本方針に関する件」(昭和二十一年一月四日刑政甲第一号通牒)中の第二項(ロ)号等に鑑みても明らかである。

(四)  普通頭髪が世間並みの長さになる為には凡そ六ケ月程度(六センチメートル位の長さ)の期間を要するものであるところ申立人が去る昭和三十四年七月二十二日当刑務所に於てその頭髪の強制剪剃処分を受けて以来今日迄の日時を要して漸く伸して来た頭髪を亦更に剪剃されたのでは予定の前記仮釈放出所までに頭髪の原状回復を期し得ないという事態に到着するものである。

(五)  監獄法第三十六条が任意規定であるに拘らず省令に過ぎない同施行規則によつて之を不当に解釈して強行規定にしていることは民主主義の行政原理に違背し違憲であるから、刑務所が同規則第一〇三条を強行して申立人の頭髪を強制剪剃することは前述の諸理由によつて行政事件訴訟特例法第十条第二項に所謂「償うことのできない損害」を申立人に与える処分の執行となるので当該処分の違法を争う以前に其の執行停止を求めるべき正当な理由が存するものとしなければならない。

(六)  数ケ月中に出所する可能性が充分ある収容者の頭髪を世間並みの長さに伸させ且衛生的に手入れをさせることは当該収容者の頭髪を伸したいという幸福追及に関する基本的人権であるが之を侵害拘束してまで真の慾求を阻止しなければならない程刑務所の管理運営に著しい支障を来たすものではないから公共の福祉の為収容者の頭髪の剪剃を強行しなければならないということにはならない。従つて頭髪の剪剃は個人の意見を尊重して(憲法第十三条)任意に為さるべきものでこれが民主主義の行刑原理であるから本申立に及んだ次第であると述べ

右に対する被申立人の意見は

第一、本件の頭髪を刈る行為は行政処分でないからその執行停止を求める本件申立は不適法である。

(一)  申立人は被申立人が昭和三十四年七月二十二日申立人の頭髪を刈らせた行為をもつて行政処分なりとしてその無効確認の訴を提起すると共にそれを本訴としてその執行停止の申立をしているが右の頭髪を刈る行為は事実行為であつて何らかの法律上の効果の発生を伴う行政処分ではないからその有効無効ということはありえず、従つてそれを本訴とする本件申立も不適法である。また本件申立のみについてみても右述べたように頭髪を刈る行為は行政処分ではないからその執行停止を求める本件申立は不適法である。

(二)  また右の頭髪を刈つたのは被申立人の申立人に対する特別権力関係に基いてしたもので、申立人の市民的権利義務には何等関係のないものであるから無効確認訴訟の対象となりえないものである。即ち申立人は現在私文書偽造、同行使罪による一年の刑を執行するため、被申立人と申立人との間には、行刑の目的達成のため被申立人は申立人を包括的に支配し申立人はそれに服従すべき特別権力関係が成立しているのである。

しかして監獄は多数の受刑者を収容しその集団処遇を原則としているのでその紀律の保持が中心となるのは当然であるから斉一な処遇が要請されるのである。また受刑者の健康を保持しこれを増進せしめることは行刑の目的上必要なことであつて、かような紀律及衛生上の必要から監獄法三六条は在監者の頭髪は刑事被告人を除いてはその意思に反して刈らせることができるものとし、その運用規定である同法施行規則一〇三条は受刑者の頭髪は特別の事情のある者を除いて少なくとも一月毎に剪剃せしむべきものと定めている。ここにいう特別の事情にある者とは例えば受刑者が欧米人であるとかあるいは釈放後力士の職に服するような場合、いいかえれば風俗、習慣、職業の点からいつて蓄髪を認めるのを相当とするような事情にある者をいう。なお宇都宮刑務所においてはこのほかに特別の事情として収容者の社会復帰に当つて屈辱感を与えないよう満期に先立つ三ケ月前または仮出獄の具体的前提となる地方更生保護委員会の面接(犯罪者予防更生法三〇条)終了後は残刑期の長短にかかわりなく、すべて蓄髪を受刑者に認めている。かように受刑者の頭髪を刈らせるかどうかは刑務所長が右の紀律及衛生の点を考慮してその裁量によつて行つているのであつて受刑者はそれに服従すべく受刑者にはそれについて云々する権利は認められていないのである。すなわち行刑目的達成上いいかえれば公共の福祉のため受刑者の自由意思はその範囲において制限されているのである。従つて受刑者の頭髪を刈ることは特別権力関係の内部における事柄であつて受刑者の市民的権利義務とは何等関係のないものであるからそれは無効確認訴訟の対象となりえないものである。従つてこの点からもその無効確認を求める本訴並に本件申立は不適法である。

第二、仮りに右の頭髪を刈つたことが行政処分であるとしてもそれは昭和三十四年七月二十二日に終つておりもはや執行を停止すべき何ものも存しないのであるから本件申立は不適法である。なお申立人は本件申立において将来なさるべき剪髪行為の執行停止をもあわせて求めているが、それは本訴において無効確認を求めている行為とは別個の行為であり、しかもまたその行為がないのに将来を予想してその執行停止を求めることは許されないから右の執行停止の申立も不適法である。

第三、申立書記載の申立人の主張について

(一)  受刑者の頭髪を刈ることは刑の執行として行うものではなく行刑目的達成のため行うのである。しかしてそれがその目的達成上必要なる所以は第一の(二)において述べたとおりである。

(二)(イ)  申立人の刑期が三年(但し第一刑は昭和三十二年七月三十一日より同三十四年七月三十日まで、第二刑は同三十四年七月三十一日より同三十五年七月三十日まで)ですでに全刑期の三分の二以上を経過し、残刑期が十カ月程しかないこと、昭和三十四年五月二日右刑の執行順序を変更し、同年五月三日より第二刑の執行をしていることは認めるが、この刑の執行順序の変更は、二刑以上を有する者については重刑を先にする原則(刑事訴訟法四七四条)によるときは仮釈放条件期間の関係からみて著しく不利益を被るので重刑の執行を中断し、軽い刑の執行に着手する順序変更を検察官の指揮により実施したものであり、これは申立人に有利な措置を講じたにすぎないものであつて当該仮出獄事案の具体的前提となるものではない。

(2)  申立人が昭和三十四年八月十七日をもつて行刑累進処遇令上第一級者に進級したことは認めるが階級の高いことが直ちに仮出獄の条件とはならない。この点は本年七月より九月に至る最近三ケ月間の仮出獄は一六五名であるが第一級九名、第二級九〇名、第三級五三名、第四級八名、不適用五名の事案に徴しても明らかである。

(3)  申立人の予測は自由であり、かつ仮釈放の可能性は否定できないが具体的には権限官庁である前記更生保護委員会委員の面接が申立人に対しては未だ行われていないため申立人がここ数ケ月中に仮釈放されるとの具体的な推定を下す根拠はない。

(三)  右に述べたように申立人が数ケ月以内の将来に仮釈放で出所すると推定すべき客観的な根拠はないし、また在監中は受刑者の頭髪は刈ることができるのであつて、仮釈放が近いからといつて頭髪の原状回復(服役以前の状態、世間並みの頭髪の長さ)を認めなければならない義務はない。頭髪を刈つたからといつて、それは行刑の目的達成のためすなわち公共の福祉のため行うのであつて憲法一三条にていしよくしないし、またそれは受刑者の清潔及び健康の維持増進のため行うのであるから憲法二五条の趣旨にも合致するものであり、また頭髪を刈ることは法律の根拠に基くものであるから憲法三一条にも違反しない。

また監獄法運用の基本方針に関する通達として申立人が挙げている昭和二十一年刑政甲第一号第二項の(ロ)は更生復帰に関する原理として「………其の手段にして仮令個別的に有効なりと思准せられる場合と雖も人権尊重の原理にもとるが如きもの例えば体罰のごときは厳に禁ずべきものなり」としたものであつて頭髪の原状回復義務とは何等関係がない。

(四)  仮出獄の時期についての申立人の仮定に基いて頭髪の伸長度を測ることは単なる希望的観測であつて具体的根拠を欠くものである。

(五)  蓄髪はさきに述べたとおり、少なくとも三ケ月は一般に許しているのであつて申立人は頭髪が世間並みの長さになるためにはおおよそ六ケ月の期間を要するとしているが、この期間の差における頭髪の伸長度が出獄の際格別他に具体的事情がないのにかかわらず単に申立人の名誉感情の点からいつて償うことのできない損害を与えるものとは考えられない。

(六)  申立人は収容者の頭髪を世間並みの長さに伸させること(かつ衛生的に手入れをさせること)は刑務所の管理連営に著しく支障を来さないと述べているが理髪に従事する受刑者の人員は炊事や掃除に就業する他の経理作業と包括して上級庁より定員が定められており、この定員を拡張して理髪夫を増員することは刑務所長の権限外であり、仮に許されたとしても短髪と異り通常の整髪には技能者を要し、宇都宮刑務所だけで千二百名をこえる受刑者を賄う技能者はとうてい充足できない(現在辛うじて一般整髪技能ある受刑者は同刑務所内にわずか四名(このうち資格試験合格者は三名)おるにすぎない)ので、実施は困難であり、刑務所の現在の管理運営に著しい支障を来すものといわなければならない。よつて本件申立はいずれにしても却下さるべきものである。

というにある。

理由

行政事件訴訟特例法第十条第二項の執行停止は行政処分の無効確認を本案訴訟とする場合にも其の準用ありと解するところ申立人が行政処分の執行停止を求める本申立の本案訴訟は申立人が提訴した当庁昭和三四年(行)第七号一級代表者指名処分無効確認等請求事件の訴状記載中に併合せられている第三項請求の趣旨にかかる「昭和三十四年七月二十二日被告(本件被申立人)が為した原告(本件申立人)の頭髪を強制剪剃せる処分の無効なることの確認を求める部分に照応するものと解せらるるが、其の剪剃行為自体は被申立人である宇都宮刑務所長が監獄法施行規則第一〇三条に基いて具体的に定めた剪剃処置方法に従つて其の執行として受刑者である申立人の頭髪を剪剃したという事実行為であつて右行為は既に昭和三十四年七月二十二日其の執行を完了し其の効果を果しているのであるからもはや停止すべき執行行為の何ものも存在しないのみならずかかる剪剃行為の無効を確認することによつて其の法律的地位を回復するという事も考えられないので右行為を行政処分として本案訴訟の目的とする限り本申立は全く無意義に帰するので斯る行為に対し執行停止の申立の許されない事は事の性質上当然と謂わねばならない。

尚申立人は本申立に於て将来為さるべき被申立人である宇都宮刑務所長の剪剃行為の執行停止をも併せて求めているがこれは申立人が前記本案訴訟に於て無効確認を求めている昭和三十四年七月二十二日為された剪剃行為とは全く別個の行為にして未だ其の具体的剪剃命令の発せられていない以上其の執行ということもありえない筋合であるから本申立はこの点から考えても失当と謂わねばならない。従つて申立人の本申立は主張自体理由がない事に帰着するので其の余の判断をまつ迄もなく失当たること明らかであるから申立人の本件申立は却下すべきものとなし訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り決定する。

(裁判官 広瀬賢三 宮本聖司 吉井直昭)

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